2013年5月31日金曜日

絵画鑑賞の科学


Behavioral and Brain Sciences という学術誌にこんな論文が出たらしい。アブストラクトだけ見た。


"science of art appreciation" というところがみそで、芸術とは何か、それを鑑賞するとはどういうことかという問題を科学は取り上げることができるということらしい。芸術を科学で量れるとひとまとめに言っているのではなく、しかじかの部分は量れるのではないかということだと思う。科学は万物に科学的に取り扱える部分を探し、それを取り上げて「量る」ものだ。

私は、自分ではまともに絵が描けない(下手くそ)。だから、そういう「理屈でわかる」部分がなかったら、私には絵を「わかる」ことはできなくなってしまう……などという個人の事情はさておき、絵を鑑賞することには、絵を実践することとは別の回路もあって、たぶんそれは、頭や理屈や仕組みで考えるというところにかかわっているのではないか。つまりはこういう対象に、心理学であれ認知科学であれ、科学の出番があるということ。

あいだははしょって(たぶん話の本体は「トートロジー」がらみのことだろう)、結局は、同じ絵を見ても(あるいは絵を見るという行為を見ても)、自分でも絵を描く人の見方もあるだろうし、そうでない人の見方もあるし、それぞれの中にも、背負っているものの違いがあるだろう。あたりまえのことなのだが、往々にして、「科学にはわかりっこない」みたいな感覚が顔を出してしまう。逆に、科学的に見ればこうなのだから、そういう見方には根拠があるとか、そうではない見方は迷信だみたいに思われることだってある。でも、どれが正しい見方かを競うこともないだろう。それより、自分にないものの見方があるから見える部分があるなら、それを代わりに見てもらって、情報として(できればそういう情報に対する鑑識眼ももって)共有するほうが、(お互い)見方が豊かになるということだと思うのだが……

望むらくは、自分でもどちらの見方もできるのがいちばんいいのだけれど、たとえば私には絵描きの感覚でものを考えることはできそうにないので、そこは絵を描く人の話を拝聴するしかないし、自分で実験を考えて行なう立場にもないから、そういうところからわかることについては科学者の教えてくれることに耳を傾けるしかない。

2013年5月24日金曜日

人間味


 怖い人、いやな奴に見えて、実はいい人みたいな描き方がどこにでも顔を出す定型のようになって、そのことがあまり快適ではないのだけれど、今シーズンの「ガリレオ」もそちらの類かなという感じ。科学の良さとか価値を、科学者の人間味にずらしてほしくないと願っているので、湯川先生には前シーズンのときのように、いやみな奴でいてほしい(吉高演じる岸谷さんにも、こういうキャラクターを登場させるのなら、そのポジションでいやな奴でいてほしかった)。

「いやな奴だけど、状況によってはその見解に耳を傾けなければならないことも多々ある」と思わせることが科学のスタンスとしては王道で、「科学っておもしろ~い」とか「科学って身近で役に立っているんだ」とか、「科学者も人間なんだ」とか、ましてや「科学者ってかわいい」とかでは、科学のほうへ人を振り向かせる分には必要かもしれないけれど、それで科学を、まずは離れるべき人間味(あるいは人間的な都合)のほうに取り込んでしまう(あるいはそちら側にあることを期待させる)だけのことになったのでは、本末転倒ではないかと心配になる。

「ガリレオ」というドラマがもともと、私が思うような科学の姿を伝えることを意図しているわけではないのだろうから(湯川先生はあくまで、人間世界の中で科学者という職業についている人間であって、科学の体現ではないのだろうから)、そんなことでドラマを評価するのは見当ちがいというのはわかっているけれど、こんなところを期待して見る者もいるということで……

 同時期に「お天気お姉さん」というのが出てきて、こちらはまだ非人間的な存在を通してくれているけれど、何やら、この人がこうなった事情みたいな人間味の部分もにおわせているようで、最後にはそちらへ行ってしまうのかなと半分あきらめつつ、でも「ガリレオ」もこれも見ている。

2013年5月17日金曜日

ケプラーが……


 ケプラー探査機が故障とのこと。当初予定の観測期間は終えかけていたので、観測成果について大損害ということはないと思うが、系外惑星の探査ではなかなかの活躍で、象徴的な存在だったという意味では、やはり残念(拙訳にはこの方面の話も多いので、そちらの面でも痛い;)。一方では、ケプラーが活躍したおかげで出番がなくなりそうだった計画もあったりするので、あらためてそういう計画が日の目を見るということもあるのかもしれない。

 系外惑星探査は、目に見える成果が地球型惑星の発見、あわよくば生命の発見ということになるので、そちらに引きつけて取り上げられるけれど、そうすんなりとそこへ進める話ではないのは、iPS細胞の応用と同じようなこと(でもそれを謳わないとなかなか精神的・経済的支持も集まらないという面でも似ているかもしれない)。先が長いだけに、ここは残念に思いつつも、永遠にもつわけではないケプラーばかりに依存しない探査の進行があることを(あせらずに)願う。

 先が長いということで言えば、ケプラーは予定期間終了目前だったとはいえ、資材の補給や修理が可能なら、もっと使えるわけで、むしろそれができないことのほうを残念に思うべきではないかと思う。

 火星へ行くという話があるけれど、それより宇宙に置いた施設を継続的に使えるような保守補給のシステムを作るほうが先なんじゃなかろうか。恒常的なステーションをだんだん地球から遠いところへ置いていって、ふだんは保守作業の拠点としつつ、実績を積みながら、火星へのベースキャンプとしても使えるようにして、それをだんだん広げた先に「火星」という当面のゴールを考えていいんじゃないかと思う(これができるには、文明のレベルがタイプIを超えてタイプIIへ進む途上にないといけないかも)──でもやっぱり、そういう地道な積み上げの方針では、なかなか支持が集まらないのだろう。

 宇宙はとてつもなく広い。だからものによっては1000年単位で構想し、進めなければならない話もあるだろうに(それでも宇宙的に見れば一瞬のこと)、せいぜい10年20年の単位でいきなり火星となるのが、まだ宇宙はよくわかっていないことを示しているように思う。


 

2013年5月8日水曜日

Nautilus


 たまたま行き当たったNautilus というオンラインの雑誌(英語、紙版もある模様)。Matter, Biology Numbers, Ideas, Culture, Connected というコンセプトで、毎号一つのテーマで関連しあう記事を集めるというもの。パイロット版と第1号が出たばかりのようだが、期待できそう。ネイチャー、ディスカバーなどの共同事業ということらしい(プレスリリース)。

 誌名のノーティラスは「オウムガイ」のことで、そこに科学、数学、神話という、「Matter, Biology, Numbers, Ideas, Culture, Connected」をさらにまとめるジャンルが象徴されているという。生物としてのオウムガイ、殻に体現される数理、ヴェルヌの小説に出てくるノーティラス号……というふうに。

 思い浮かぶ範囲では、フランスには前々から Alliage という、こちらは科学・技術・文化の融合を謳う不定期刊の雑誌があるが、こちらはちょっとハイブラウだしボリュームもあって、なかなか手を出しにくい。日本にも、東大の Synapse, Academic Grooveというプロジェクトがあって、その紙による広報誌が不定期刊で出ているが、こちらはあくまで活動のほうが本体。それからすると、Nautilusは、敷居もそれほど高くなさそうで、雑誌としても充実しているというところか。

 第1号はいきなり「人間の特別なところはどこか」という歴史的な大問題を取り上げている。霊長類学、ロボットあるいはAI(AE=artificial emotion?)、コペルニクス的宇宙、さらには仏教的人間観、等々といった項目が並んでいる。毎月一つのテーマで、毎週1章分ずつ出るとか……問題は読む時間。

 自分では、翻訳という形でしてきたこと、していくことが、この雑誌がしようとしていることと根っこでつながればと願っている(これほど明瞭なテーマで一つにまとまっているわけではないけれど)。ともあれ、日本語版ができたら(Wiredみたいに)翻訳してみたいと思うような雑誌。

2013年5月1日水曜日

入試問題に


 今年も2点を使ってもらったとのこと。そのうち一つはなんと数学とか。ある一節を抜き出して、論証が式で展開されている部分の一部を空欄にして、あいだを埋めさせるというもの。数学の論証を具体的な場面に置いて考えさせるという点でいいアイデアだと思うし、そんないいアイデアの材料として使われている分、冷や汗も出る。

 もう一つは現代文。オーソドックスな(本格的な?)読解問題に使われたのはもしかしたら初めて? 翻訳が日本語として成立していると認められているということならうれしいけれど、その反面、問題として使える程度には読みづらいということでもあろうから、「ご面倒をおかけします」といった感じ(私自身としては「読み応えがある」と思ってほしいところだけれど)。パラドックスがらみの素材が多いから、内容的には現代文には向いているし、使える部分も出てくるのだろう──それにしても翻訳にまで手を広げなければならないほど、素材が出つくしているのだろうか。

 使えるのなら使っていただけるとうれしいとはいえ、こうやって意外なところで見かけると、文字どおり身が引き締まる思いもします。