2015年8月2日日曜日

言葉が適応する(AIに)

 AIは人間の真似をするのだから、人間に近くなるし、人間の水準を反映してしまうものでもある。逆に、日本語が機械翻訳に合うような適応(進化?)をする可能性はある。

 そう思うのは、英語を間に合わせで機械的に日本語に置き換えるときに生まれたような言い方が、結局、ふつうの日本語として定着してしまう(あるいはもともとあったマイナーな言い方が、英語の置き換えとの親和性が高いために主流になる)ということがあるように見えるからだ(正確に由来をたどっているわけではないのだけれど)。つまり英語の機械的置き換えのための日本語みたいな部分が蓄積される。それがある程度進めば、つまり機械翻しやすい側の寄りの日本語があたりまえの日本語と認識される部分が大きくなれば、機械翻訳はそれを学習して、日本語でも使えると思われる結果を出力し、定着もするだろう(逆、つまり日英の変換がすんなり行くかどうかは私には読めない。機械的である以上は可逆的と思うが、日本語を間に合わせで機械的に英訳したものがふつうの英語になるほど、英語の中で日本語が占める部分は──まだ?──大きくないだろうとも思う)。

 翻訳にもチューリングテストみたいなのがあって、機械翻訳が機械翻訳ではないと思わせられればひとまず合格なわけで、そう判定される基準は(明瞭でなくても)、いろんな意味での機械翻訳の進行とともに変動するのだろう(人間の翻訳者が──私自身が──実は、効率のために、機械的になりたがっているところもある)。翻訳が人間によるものかどうかを判定する基準は人間がする翻訳なのだろうが、人間が人間的と思うところと機械翻訳の出力は、両側から、おのずと重なっていくのではないかと思う。

 機械翻訳と日本語の共進化。それがそれとわかるほどになるのがいつになるかはわからないけれど、何かの閾を超えるとあっというまに水準が上がり、広がるという感じはする。望むと望まざるにかかわらず。