2020年4月11日土曜日

非人情の占い

こんなことを言うのも何だけど、12星座の星占いを二つ、恒常的に見ている。あえて言えば、当たらないことを確かめるため……? もちろん、当たるはずもないけれど、いいことが書いてあればうれしいし、よくなければ気分が悪いのもまた現実。そういうふうに感情に作用するところが占いの効果だ(良し悪しとは別にして)とも言える。そして人は往々にして、感情に対する作用あるいは効果の存在を、「当たる」というふうに、これまた感じるのだろう。

それはそれとして、この二日ばかり、おもしろい——これも時節柄(2020年4月)憚られる言葉かも——例に出会った。たとえば、「誘いを受けたら乗りましょう、イベントに積極的に参加しましょう」とか、「あてがなくても出かけてみると、チャンスに遭遇するかも」とか、今やってはいかんと言われていることを積極的に勧める記述が続いたのだ。

無料の毎日の占いなので、それが手間ひまのかかった占星術だと思う方がどうかしているのであって、誰かが適当に書いているのだろうとは思うのだし、ふだんにしても、たとえばあっちとこっちで言うことが矛盾してるなどと、つっこみながら見ているのだけれど、それにしても、ちょっと「ずさん」すぎないか? これを「書いて」いる人は、その言葉では「当たる」とか「当たった」とか、占いに想定される効用があるとはまず思いようがないとは思わないのだろうか。それとも、まともには受け取られないことを前提に、どうでもよい原稿を「書いて」いるのだろうか。

こんなご時世だから、そんなことは言ってはいけないというのではない。もしかしたら、こんなご時世だから、あえて無視して出かけていくことが大事なのだという主張をしようとしているのかもしれないけれど、ただそういう決意が見えるような書きっぷりには見えない。いつものように、何かの文案の中から、ほとんど無作為に(あるいは時節とは別の何らかの配慮をもって)見つくろってきて並べているような「何とか運」の羅列だ。

別にそのことを責めようというのではない。それはもともとそういうもの(システム)なのだから、水準や効用を求めたり、そもそもまともに相手にしたりする方がおかしい。向こうもこちらも、その日のルーティンをこなしているにすぎない。それはわかっている。わかっているけれど、あまりにも「相変わらず」だというところに、少々別の興味がわいた。それほどこの占いの書き手は、今の人間の世界の事情を知らないのだろうかと。

たぶん、占いコメント選択プログラム(今ならAI?)みたいなのがあって、蓄積され、用意されているコメントを(無作為に、あるいはもしかしたら星座に設定された傾向に応じた重みづけをして)選択したものを並べているんだろうな。機械的に機械翻訳の出力を使って、それが変な言葉であることを気にしていないかのような結果になっているのと似ている。そう考えないとつじつまが合わないほどの「非人情」(不人情ではない)な記述だということが、今の世情に照らして初めてわかった。そうか、占いといえども、必ず人の事情や都合をいちいち考える(あるいはそこにつけこむ)わけではない。無料の、手間ひまをかけられない占いは、何らかの占いアルゴリズムに沿って、占いフォーマットに沿った文言を、非人情に、淡々と吐き続けるのだ。

「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」

「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」「おやそう。それだから画工なんぞになれるんですね」

「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」

「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」

「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」(『草枕』第9節)

確かに。おみくじだ。開いたところをぱった開けて、開いたところを今日の占いとして置いておく。それを誰かが読む。おみくじを(AIに?)代わりに引いてもらっているということか。当たるかどうかなんか「どうでもいいんです」。その日その日、そのときそのとき、「ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白い」のだ。そしてそれが、人情の世界で人の感情(人情)に作用する……そうしてはからずも、このご時世のおかげで、私が見ている占いAIはこうしてチューリングテストに不合格となった?

占星術は科学史上では無視できない存在で、近代的天文学の先祖に当たる(ただ近代天文学は、親の意向にさからって、親の目指すものとは違う方向に進んだ不肖の子——親の立場からすれば——ということだけれど)。つまり近代科学と無縁な存在ではないし、自然を人間の力で理解し、その理解を表現しようとする意志は、科学を生んだ意志とも通じている。その占星術が、現代の機械化文明にあっては、非人情という、占いの根本を否定するような占い方(占いの言葉の作り方)をも生むということか(あくまでシステムの仕組みを推測しているだけです。占いコーナーの仕組みが実際にそうであることが解明されたというのではありません)。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。(『草枕』第1節)

今の住みにくさは「不安」のことかもしれない。それにしても、そんな余裕があるものかと言われそうなことかな? とかくに人の世は住みにくい。けれども、だから非人情の芸術だと漱石は語ってくれる。